皆様、やっと最近になって、秋雨前線が現れ、暑かった夏も、さすがに終わりを告げようとしているようですね。今年のお米は期待出来そうです。
さて、今回は前回の予告通り、「献血」についての講義を行います。まず初めにお伺いしますが、以下に挙げる3つのテーマに関して、本講義を進めます。
(1)みなさんは「献血」をやったことがお有りですか?
(2)なぜ献血が必要なのかをご存知ですか?
(3)献血は怖いですか?
(1)みなさんは「献血」をやったことがお有りですか?
多くの聴講生は「いいえ」とお答えになるでしょう。やりたいとか、やりたくないとか、そういうことではなくて、単に「やったことがない」というだけなのではないでしょうか。もう少し分かりやすく言うと、大きな駅などでは、熱心に「献血」をお願いしている団体を見ることがあります。そうした集団を見て、どのようにお感じになりますか?
サミぃの正直な感想としては(もちろん、献血をやったことが無かった頃のことです)、
「なんで、こんなに熱心にやっているんだろう?」
「忙しいから無理だな」
「どうせ、献血してもヤクルトくらいしかもらえないんだよな」
「どんだけ足りないのかわからないし」
「人口血液も開発されているらしいし」
「そもそも少し怖いし」
「熱心すぎる人だから、逆にこっちは引いていることが分からないのかな?」
こんな感じでした。しかし、献血を10回以上やっている今となっては、この、どれもが、残念な勘違いであったことが分かります。さらに、本来は、血液の需要が、極めて深刻な状態であることを知るべきだし、自分が将来、輸血を必要になる可能性があることを、どれだけ理解していたのだろうか、と思います。
「献血」には「全血献血」と「成分献血」とがあり、それぞれの量などによっても異なりますが、200mlの全血献血であれば16歳からやることができます。
つまり高校生から「献血」を体験することが出来る訳です。後で、結論として改めて述べますが、サミぃは、学校で、「献血」について授業で教え、そして「授業外」で献血を体験するべきだと考えています。強制するのではなくという意味です。
(2)なぜ献血が必要なのかをご存知ですか?
みなさんは、献血により集めた血液の使用目的を「外科手術における輸血」であると習っていると思います。もちろん、それはございますが、実際には、血液はそのままでは、長期保存が出来ませんので、長期保存を可能にする目的で、赤血球、白血球、血小板といった「血球成分」とそれ以外の「血漿成分」に分けて、さらに「血漿成分」は目的によって様々なタンパク質を分離し、様々な目的に利用されております。分けていないものを「全血製剤」と呼び、成分に分けたものを「血漿製剤」と呼ぶのです。
さて、では、良く聞くことですが、「血液はもたない(長期保存できない)」そうですよね。これはどのくらいなのでしょうか。ご存知ですか?全血の場合は、冷蔵庫でたったの3週間です。それ以上は血液が悪くなりますので使うことが出来ません。血液は生きているのです。あ、こういうと、生き物ですか?という議論を持ちかけてくる聴講生が、必ずいるはずですが、ちょっと、それは、今は待って下さい。主旨を理解していから質問するようにして下さい。お願い致します。
血液は生きているのです。赤血球にしても白血球にしても、あるいは血小板にしても、それらは「分化」済みの「細胞」です。細胞は呼吸し、エネルギーを消費し、特定の機能性タンパク質を持ち、決められた(決めたつもりは無くても)活動をするのです。
「赤血球」には「核」がありません。つまり、細胞分裂出来ないのです。増やすことが出来ません。初期化因子を用いても無理です。分化途中の細胞を用いて「赤血球」を作る研究が行われておりますが、難しいようです。
さて、全血では、3週間しかもちません。様々な成分に分離すれば、もうしばらく持ちますが、結局のところ、赤血球が3週間なので、大量の全血製剤が必要な、大量出血を起こした患者さんを助ける目的には、やはり、大量の血液が必要になる訳です。それは今も昔も変わりません。
つまり、血液(赤血球などの血球成分)を人工的に作ることが、現時点では出来ていないし、集めても長期保存出来ないので、「献血」はとても大切(必要)なものなのです。
(3)献血は怖いですか?
おそらく、やったことのない聴講生は「はい」と答えるでしょうね。だって、やったことがないのですから。さらに、そうした「献血」を授業であまり習わないのですからね。習ったとしても、授業の一環として「献血センター」に行くなどと言ったら、「おかしな人達」が狂ったように「強制的に行うことは個人の人格、人権を無視した行為である」などと、言ってくるでしょう。
サミぃは、そうしたことを言う人が少なからずいることを知っています。しかし、敢えて言わせてもらうと、サミぃは、困った人を助ける極めて重要な行為である「献血」を小学校の授業から行うべきだと考えます(概念を教えるのであって、血を採るのではございません)。そして、高校生になったときに、「強制すること無く」、ボランティア精神に乗っ取って、「献血センター」に休日に集合して、やりたい人は「献血」し、やりたくない人や、不健康な人は「見学」するようにすればいいと、心の底から考えています。これは、誰に何と言われようとも、揺るがない信念として考えています。
先日も、福島駅東口において、献血キャンペーンを行っている大学生集団を見かけました。女性は献血をやったことがないと話していました。男性は大学生で、献血は2回やったことがあると話していましたが、どれだけ必要性があるのかは、十分な知識を持っていませんでしたし、自分たちの行動が、周りから、「う〜ん」と見られていることを知りませんでした(見てますか?はい、そこのあなた!)。
仮に、その人の志が高くとも、そうしたことの必要性を、こどもの頃から学校の授業として、経験していない限りは、その人に理解させ、共感させ、そして行動させることは困難なのです。つまり、教育が重要なのです。洗脳ではございません。科学に基づいた、正しい知識を、こども達に与えること、それが教育なのです。
これは単に、「献血」に限ったことではございません。日本が現在、置かれている状況を、どのように考えるのか、醜い権力争いや、もったいないお金の使い方、お金・お金と奔走する人々、サミぃは、今、アラフォーになり、そうした残念な世の中のことが見えてきたのです。だから、サミぃはWhat is Life?を始めたのです。
What is Life?を伝えることで、科学の素晴らしさを多くの人に知ってもらい、そして、大げさでは有りますが、世界平和に貢献したいのです。こどもたちに、いや、自分の息子たちに、お父さんである、自分の存在を知ってもらいたいのです。今は、まだ7歳と5歳の息子たちに、なんとかして、いや、なんとしても、彼らに、自分の考え方や、気概、そして、彼らに対する愛を伝える手段の一つが、このWhat is Life?なのです。
単純な用語の解釈の違いや、私の言語能力の不備について、何かを言ってくる前に、サミぃのそうした気持ちを、どうかご理解下さい。ブログは、好きなことを、好きなだけ、好きなように書くものです。先日、日本ブログ村の村長から、連絡を受けました。私は、真面目です。どうか、聴講生の皆様、私のそうした思いがあるということを、どうか一部だけでも構いませんので、ご理解下さい。
http://www.jiji.com/jc/v?p=vs_end-of-pacific-war-top
ReplyDelete太平洋戦争のことを詳しく知らなかったので、大変参考になりました。皆様も、もしご興味がございましたら、ご覧下さい。